蟹井神社について
【由緒・沿革】
創建:天喜2年(1054年)8月19日
祭神:神武天皇、応神天皇、神功皇后、菅原道真
氏地:天見、岩瀬(大阪府河内長野市)
標高 271M 境内260坪 境外約2000坪
大阪府河内長野市に鎮座する神社。氏地は河内長野市の天見、岩瀬。
秋に「提灯祭」という高提灯を仕立て祇園囃子を唄いながら参拝する祭礼がある。
ご祭神は神武天皇、応神天皇、神功皇后、菅原道真。
神社の由来略誌
古代当地方を開拓した人々が、社を建て産土の神として祀る
1054年 天喜2年(皇紀1717年)8月19日、中世平安時代、当地方は甲斐の庄といわれ、 御冷泉天皇の御代に創建。当時は甲斐神社とされ、神倭磐余彦命外三柱を祀った とされる。
1333年(正慶2年正月5日:皇紀1997年)南北朝時代、楠木氏一族が当神社で戦勝祈願さ
れ、南朝の武将は当社を崇敬、戦勝祈願の場所とする。北朝の足利氏一族と周辺
(出合の辻)において合戦し、紀伊国御家人 井上入道、山井五郎以下五十余人討
ち死にする。この戦いは、河内の国、甲斐の庄、「安満見合戦」といわれ、当社
も災害を受け、焼失する。また楠木氏一族が出合尾の塚に寄手塚逆修供養碑を建
て供養される。当時は宗厳なる社殿を存していた。
1676年(延宝4年)大火に遭い再び社殿焼失する。1676年(皇紀2336年)当時に蟹井神
社と改称され たのではないかと推定される。今の社殿は其の後の再建である。
1696年(元禄12年)9月1日に田中浄泉(現 田中光氏先祖)が石段を寄進される。
1872年(明治5年)に村社に列せられる。
1908年(明治41年)11月5日にに岩瀬の村社菅原神社・若宮神社・住吉神社・若宮皇女神
社・高良神社・八阪神社を合祀し、同41年12月神饌幣帛料共進社に指定される。
1932年(昭和7年)石段の破損がひどいので修理される。改修費を八丈仲一、奥野義三両
氏が寄付される
1946年(昭和21年)宗教法人として神社本庁に所属し現在に至る。
天見は中世「甲斐の庄」と呼ばれ、蟹井神社は当初、甲斐神社の本来の音が訛って変化 し、蟹井神社とされたと社伝に伝えられる。
日本の初代天皇神武天皇が、御東征の節紀の川を上り、紀見峠にて賊慮の状況を視察なさ
れた時、今の神社の北側に天見川の大石、小石を集め磐境として神籬を建て、皇祖天津神
を祀り給いて戦勝を祈願されたことから、神武天皇(神倭磐余彦命)外三柱を祀ったとさ
れる。
一説に蟹井の名称の起こりは、甲斐神社の甲斐が訛りにとされる以外に、社域の南、天見
川に蟹井の淵という深淵があって、これより当社の御神体が出現したためと伝えられる。
蟹井神社 境内社六社(元禄五年の記録より)
1)菅原神社(祭神:菅原道真公)
2)若宮神社(祭神:大雀命)
3)住吉神社(祭神:表筒男命、中筒男命、息長帯比賣命)
4)若宮皇女神社(祭神:長日賣命)
5)高良神社(祭神:玉多礼命)
6)八阪神社(祭神:建速須佐男命)