蟹井神社について
【由緒・沿革】
創建:天喜2年(1054年)創建と伝えられる
祭神:神武天皇、応神天皇、神功皇后
氏地:天見、岩瀬(大阪府河内長野市)
大阪府河内長野市にある神社。天喜2年(1054年)創建と伝えられる。
祭神は神武天皇、応神天皇、神功皇后。
当初は甲斐神社と呼ばれていたが、延宝4年(1676年)に焼失後、再建されて蟹井神社に
改称されたとされる。
明治41年(1908年)に岩瀬の菅原神社が合祀された。
氏地は河内長野市の天見、岩瀬。
秋に「提灯祭」という高提灯を仕立て祇園囃子を唄いながら参拝する祭礼がある。
天見は中世「甲斐の庄」と呼ぶ。蟹井神社は当初、甲斐神社の本来の音がなまって変化し、蟹井神社とされたと社伝に伝えられる。
日本の初代天皇神武天皇が、御東征の節紀の川を上り、紀見峠にて賊慮の状況を視察なされた時、今の神社の北側に天見川の大石、小石を集め磐境として神籬を建て、皇祖天津神を祀り給いて戦勝を祈願され、その後、天喜3年(1099年)に至り社殿を造立して8月19日神倭磐余彦命外三柱を祀ったとされる。
南北朝時代、南朝の武将は当社を崇敬して、何度も戦勝を祈ったとされる。
延宝4年には社殿は悉く炎上して荒廃したが、その後も一部再建され、
現存の社殿が存在する。
明治5年に村社に列せられ、明治40年11月5日、岩瀬の村社菅原神社・若宮神社・住吉神社・若宮皇女神社・高良神社・八阪神社を合祀し、同41年12月神饌幣帛料共進社に指定される。
昭和21年宗教法人として神社本庁に所属し現在に至る。
また一説に蟹井の名称の起こりは、社域の南、天見川に蟹井の渕という深渕があって、
これより当社の御神体が出現したためと伝えられる。
天喜3年(1099年)8月19日の創建と伝えられているが確証はない。
元弘、建武の頃は楠方の武将の戦勝の祈願所となった。
当時は宗厳なる社殿を存していたが、延宝四年炎上し、今の社殿は其の後の再建である。
蟹井神社 境内社六社(元禄五年の記録より)
1)菅原神社(祭神:菅原道真公)
2)若宮神社(祭神:大雀命)
3)住吉神社(祭神:表筒男命、中筒男命、息長帯比賣命)
4)若宮皇女神社(祭神:長日賣命)
5)高良神社(祭神:玉多礼命)
6)八阪神社(祭神:建速須佐男命)